若き歌舞伎役者として圧倒的な「品格」と「洗練された美しさ」を放ち、多くの観客を魅了している市川團子さん。
その凛とした佇まいや、教養を感じさせる立ち振る舞いを目にするたび、「一体どのような環境で育ったら、これほど素晴らしい青年になるのだろう」と、
そのルーツに興味を惹かれる方も多いのではないでしょうか。
彼の持つ気品の源流を辿っていくと、一人の女性の存在に突き当たります。それが、実の母親である知子(ともこ)さんです。
元国際線CAという輝かしい経歴を持ちながら、突然飛び込むことになった「梨園」という特殊な世界での壮絶な試練、
そして何があっても子どもたちを守り抜いた深い愛情――。
今回は、知子さんの知られざる素顔と、團子さんとの温かい絆の物語に迫ります。
誰もが憧れる「博多美人」元JAL国際線CAとしての素顔
市川團子さんの母・知子さんは、1970年に福岡県で生まれました。
「博多美人」を体現するような大変美しい容姿の持ち主で、明るく上品、そして何より自分の仕事に強い誇りを持つ、
プロ意識の高い女性でした。
結婚前の彼女の職業は、日本航空(JAL)の国際線客室乗務員(CA)。
世界の空を舞台に、最高峰のホスピタリティを提供していた知子さんは、まさに自立した聡明な女性の象徴でした。
そんな彼女に一目惚れしたのが、当時、俳優として破竹の勢いを見せていた香川照之さんです。
共通の知人を介した飲み会で出会った二人ですが、知子さんの気品溢れる美しさに心を奪われた香川さんが猛アタックを開始。
1995年12月7日、香川さんの誕生日という記念すべき日に二人はゴールインを迎えました。
【知子さんの基本プロフィール】
- お名前:知子(ともこ)さん
- 生年・出身地:1970年生まれ、福岡県出身
- 前職:JAL(日本航空)国際線客室乗務員(CA)
- 人物像:明るく品があり、美しい容姿と高いプロ意識を兼ね備える
結婚を機に、知子さんは潔くCAの仕事を退職し、専業主婦として夫を支える道を選びます。
そして2004年、知子さんの実家がある福岡での里帰り出産により、長男・政明さん(現在の市川團子さん)が誕生。
その4年後には長女にも恵まれ、誰もが羨む幸せな家庭を築いていました。
この平穏な日常が、のちに一変することなど、当時は誰も想像していませんでした。
一夜にして始まった「梨園の妻」としての壮絶な試練
転機が訪れたのは2011年のことでした。
夫である香川照之さんが、46歳にして歌舞伎界への進出(九代目市川中車を襲名)を決断したのです。
信じがたいことに、この重大な決定は知子さんへの事前の相談が一切ない「事後報告」だったといいます。
一瞬にして「梨園の妻」という、日本で最も格式高く閉鎖的な世界に放り込まれた知子さん。
歌舞伎の家系に育ったわけでもなく、後ろ盾も持たない彼女を待ち受けていたのは、想像を絶するほど冷酷な現実でした。
先輩の梨園妻たちからの冷ややかな洗礼
伝統と格式を重んじる歌舞伎界において、中途参入の家庭に対する風当たりは非常に強いものでした。
劇場ロビーでの挨拶を無視されるなど、陰湿な「いじめ」とも言える冷淡な対応を受ける日々。
それでも知子さんは、弱音を吐かずに健気に耐え続けました。
さらに家庭内では、同居することになった義父・二代目市川猿翁さんの介護や世話が重くのしかかります。
パーキンソン病を患っていた義父のケアは、精神的にも肉体的にも限界に近いものだったはずです。
母親の心を打ち砕いた「駄馬」という言葉
どれほど自身が傷つけられても耐え忍んできた知子さんでしたが、どうしても許せない、そして耐えきれない出来事が起こります。
それは、伝統芸能の重鎮の一人が、自身のブログで長男・團子さん(当時まだ小学生)のことについて、遠回しに「只の駄馬」と酷評したことでした。
「自分がどれだけ理不尽に扱われても我慢できる。
けれど、何の罪もない大切な我が子までが大人たちの身勝手な攻撃の標的にされるなんて――」
我が子を深く愛する一人の母親として、この仕打ちはあまりにも残酷であり、知子さんの心は完全に限界を迎えてしまいました。
引き裂かれた家庭環境と苦渋の決断
試練はそれだけにとどまりません。
生活のすべてが歌舞伎中心に回り始めたことで、まだ幼かった長女(團子さんの妹)が、
両親にかまってもらえなくなった寂しさから精神的に不安定になってしまいます。
知子さんは娘の異変に気づき、付きっきりで寄り添うようになりますが、
それによって家庭の環境は歌舞伎に突き進む「夫・息子」と、そこから取り残された「妻・娘」の二つに真っ二つに分断されてしまったのです。
家族を守るため、知子さんは2年間に及ぶ別居生活の末、2016年12月に離婚という苦渋の決断を下しました。
それは、梨園という重圧から子どもたちと自分自身を解放するための、母としての命がけの選択だったのかもしれません。
息子・市川團子へ注ぎ続けた深い愛情と、品格を育む英才教育
壮絶な苦労の末に梨園を去ることになった知子さんですが、彼女が息子・團子さんに注いだ教育と深い愛情は、今も團子さんの確固たる土台として息づいています。
現在、團子さんが舞台で見せる圧倒的な「気品」や「洗練された立ち振る舞い」は、まさに元国際線CAである知子さんによる教育の賜物です。
国際感覚を養う独自の教育方針
「これからの時代は国際感覚が必要不可欠」という知子さんの先見の明により、團子さんは幼少期、インターナショナル系の幼稚園に通っていました。
日本の伝統芸能の世界に身を置きながらも、広い視野を持つ大人になってほしいという母親の願いが込められていたのです。
その後は、文武両道の名門・青山学院へと進み、豊かな教養を育んでいきました。
親子の絆を感じる微笑ましいエピソード
團子さんがまだ小学1年生だった頃の、微笑ましいエピソードが残っています。
テレビ番組『徹子の部屋』でも明かされた話ですが、当時の團子さんは歌舞伎の「宙乗り」に憧れ、知子さんに身体を抱え上げてもらっては、
家の中で何度も何度も「宙乗りごっこ」を繰り返していたそうです。
自分の背中を痛めてでも、息子のきらきらとした夢に付き合い、一緒に笑い合っていた知子さんの姿が目に浮かぶようです。
どんなに苦しい環境にあっても、知子さんは子どもたちの前では常に温かく、明るいお母さんであり続けました。
そして現在――形を変えて続く、温かく良好な家族の絆
離婚を経て、一時は別々の道を歩むことになったかのように見えた家族ですが、現在の関係性は非常に良好で、温かい絆で結ばれています。
知子さんは現在、團子さん、そして妹さんと3人で暮らしているとされています。
折に触れて家族旅行に出かけ、笑顔の絶えない時間を共有しているそうです。
さらに素晴らしいのは、知子さんが今でも「市川團子の母」として、彼の役者人生を影で支え続けているという点です。
團子さんの舞台が決まれば、知子さん自らが贔屓筋(大切な支援者の方々)の元へ熱心に挨拶に赴き、息子のために頭を下げ、サポートを惜しまないといいます。
かつて自分を傷つけたかもしれない歌舞伎の世界。
しかし、そこに生きることを選んだ最愛の息子のために、知子さんは過去の恩讐を越え、再び母として力強く並走しているのです。
おわりに:一人の女性として、母として
市川團子さんという大輪の華の根底には、知子さんという気高く、深い愛を持ったお母さんの存在がありました。
CAとして培った洗練された美意識、梨園の理不尽に耐え抜いた強さ、性能よりも「子どもたちを守る」という揺るぎない覚悟。
私たちが舞台の上の市川團子さんに魅了されるとき、そこには彼を命がけで育て上げ、
今もなお無償の愛で支え続ける、母・知子さんの美しい面影が重なっているのかもしれません。
これからの團子さんの躍進を、知子さんへのリスペクトとともに、温かく見守っていきたいですね!
