ドラマや舞台で抜群の存在感を放つ実力派女優の西尾まりさん。
子役時代から数々の名作ドラマに出演し、今や日本の映像界に欠かせない名脇役として活躍されていますが、
彼女がどのような環境で育ち、なぜ芸能界の道へ進むことになったのか、その生い立ちを知る人は少ないかもしれません。
今回は、西尾まりさんの「東京都世田谷区でのルーツ」から、どこか下町情緒を感じる「実家のクリーニング店での温かい思い出」、
そして名子役へと繋がる「劇団に入った意外すぎるきっかけ」まで、彼女の原点をたっぷりご紹介します!
目次
西尾まりの出身地は東京都世田谷区!気になる学歴もチェック
西尾まりさんは、東京都世田谷区のご出身です。
都会的ながらも、どこか落ち着いた温かみのある街で生まれ育ちました。
学歴としては、亜細亜大学経営学部を卒業されており、
芸能活動と学業をしっかりと両立させてきた努力家な一面も持ち合わせています。
実家は世田谷のクリーニング店!共働きのご両親と姉との温かい日々
西尾まりさんのご実家は、地元・世田谷区で「クリーニング店」を営んでいました。
家族構成は、父親、母親、お姉さん、そして西尾さんの4人家族。店舗と住居が一体となったお家で、
いつも家族の気配を感じながら育ったそうです。
忙しい合間を縫って支えてくれた母親との絆
ご両親は共働きで毎日とても忙しく働かれていましたが、
西尾さんが劇団に入ってからは、お母さんがお稽古やオーディションの送り迎えを一生懸命にこなしてくれたといいます。
当時の西尾さんにとって一番の楽しみは、「お稽古の帰りに、お母さんとレストランで一緒に食事をすること」でした。
忙しい日常の中で、その時間だけは母をひとり占めできる特別なひとときだったのかもしれませんね。
以前、西尾さんがご自身のお子さんに「働く母親の背中を見せたい」と語っていた素敵な子育て論は、まさにこの世田谷の実家で、
一生懸命に店舗を切り盛りしていたご両親の背中から受け継いだものだったのです。
生い立ちの秘密:子役デビューのきっかけは「吃音(きつおん)を治すため」だった!?
5歳で子役デビューし、天才子役としてお茶の間の人気者になった西尾まりさん。
さぞかしご両親が芸能界に熱心だったのかと思いきや、劇団に入った理由は全く別のところにありました。
医師からのアドバイスで児童劇団へ
実は3歳の頃、西尾さんには吃音(言葉をうまく話せない症状)がありました。
心配したご両親が病院の先生に相談したところ、こんなアドバイスをもらいます。
「子供が大勢いる場所で、何か楽しいことをやると(症状が)良くなるかもしれない」
この言葉をきっかけに、たまたま実家の近くにあった児童劇団に入団することに。
ご両親には「娘を芸能人にしたい!」というステージパパ・ママのような下心は一切なく、
「なんとか娘の吃音を治してあげたい」という、純粋な親心からの選択だったのです。
才能が開花し、伝説の名子役へ
治療の一環として始めた劇団でしたが、ここで西尾さんの演技の才能が見事に開花します。
1979年、わずか5歳の時にNHK大河ドラマ『草燃える』で子役デビューを果たすと、
その後『うちの子にかぎって…』や『パパはニュースキャスター』といった昭和の伝説的大ヒットドラマに次々と出演。
誰もが知る「名子役」へと駆け上がっていきました。
我が子を想う両親の優しい一歩が、現在の名女優・西尾まりを誕生させる奇跡のキッカケとなったのです。
まとめ:温かい家族の愛が、女優・西尾まりのブレない原点
女優・西尾まりさんの出身や生い立ちを紐解いてみると、素晴らしいキャリアの裏側にある温かいドラマが見えてきました。
- 出身は東京都世田谷区で、実家はクリーニング店。
- 劇団入りのきっかけは、両親が娘の「吃音」を心配して通わせたこと。
- 忙しい家業の合間を縫って支え続けてくれた母親との、レストランでの思い出が原点。
「吃音を治すため」というお茶目なスタートから、今や日本を代表する演技派女優へ。
西尾さんの持つ、気取らない親しみやすさと芯の強さは、世田谷の温かい家庭環境と、全力で愛を注いでくれたご両親のおかげだったのですね。
そんな彼女の人間味あふれるバックボーンを知ると、ドラマで観る彼女の演技が、さらに味わい深く感じられそうです!

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