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  • 桑田佳祐の兄弟は4歳上の姉が1人!音楽のルーツを作った異母姉との絆が凄すぎる!?

    桑田佳祐の兄弟は4歳上の姉が1人!音楽のルーツを作った異母姉との絆が凄すぎる!?

    日本の一大ロックバンド・サザンオールスターズのフロントマンとして、長年音楽シーンのトップを走り続ける桑田佳祐さん。

    彼の紡ぐ唯一無二のメロディと歌詞の裏には、ある一人の女性の存在が大きく関わっています。

    それが、4歳年上の実の姉であり、異母姉弟でもあった岩本えり子さんです。

    今回は、桑田佳祐さんの音楽的ルーツを形作り、激動の半生を駆け抜けた姉・えり子さんとの絆、

    そしてふたりが愛した茅ヶ崎の物語に迫ります。

    姉の手下だった幼少期──ビートルズが結んだふたりのルーツ

    1952年生まれのえり子さんは、桑田さんより4歳年上の「お姉ちゃん」でした。

    実はふたりは腹違いの異母姉弟という関係でしたが、その絆は誰よりも強いものでした。

    幼い頃、両親が共働きで忙しかった桑田家。

    えり子さんは、まだ小さかった桑田さんに子守唄代わりにビートルズや当時の流行歌を歌って聴かせていたといいます。

    この時に耳にしたメロディこそが、のちに日本を代表する天才ミュージシャン・桑田佳祐の原点となりました。

    メディアでは「親代わりになって桑田佳祐を育てた」と美談として報じられることもありますが、

    桑田さん本人はのちに照れくさそうにこう語っています。

    「そんなかいがいしい女ではない(笑)。僕は姉の手下でした」

    この遠慮のない言葉選びにこそ、背中を追い続けた姉への絶大な信頼と、ふたりの等身大の仲の良さが滲み出ています。

    名曲「いとしのエリー」のモデルは姉だったのか?

    サザンオールスターズの珠玉のバラード「いとしのエリー」。この曲のモデルを巡っては、ファンの間で長年ある説が囁かれてきました。

    「エリーとは、姉のえり子さんのことではないか」という説です。

    この噂について、桑田さん本人は「何だか口を吐いて出てきたのが歌詞になった」と、肯定も否定もしない曖昧な表現にとどめています。

    しかし、桑田さんのシャイな性格を知るファンの間では、

    「照れ隠しで煙に巻いているだけで、実は本当にえり子さんへの想いがどこかにあったのではないか」

    と今でもロマンとともに語り継がれています。

    真実がどちらであれ、彼女の存在が桑田さんの心に深く刻まれていたことは間違いありません。

    カリフォルニアへの移住と、サザン楽曲への貢献

    高校を卒業後、20歳で結婚したえり子さんは、1975年にアメリカのカリフォルニアへと渡ります。

    モントレー大学で学び、通訳などの仕事をこなしながら、海外の地で出産と子育てを経験するというパワフルな女性でした。

    このアメリカでの経験は、弟・桑田佳祐さんの音楽活動にも大きな力を貸すことになります。

    サザンオールスターズや桑田さんのソロ楽曲である「黄昏のサマー・ホリデイ」「HOLD ON (It’s Alright)」「LONELY WOMAN」などの楽曲において、

    えり子さんは英語歌詞の補作詞を担当。

    クレジットにもその名を残し、音楽のパートナーとしても桑田さんを支えました。

    茅ヶ崎の海を守った「はまけい」での闘い

    1995年に乳がんを患うも、見事に克服したえり子さんは、翌1996年に故郷である茅ヶ崎へと帰国します。

    そこで彼女が情熱を注いだのが、かつて弟の桑田さんとともに泥まみれになって遊んだ、思い出の地・茅ヶ崎の自然を守ることでした。

    2005年、えり子さんは茅ヶ崎の海の景観を守る市民団体「はまけい」の代表に就任。

    当時持ち上がっていた、サザンビーチへの高層マンション建設計画に対して猛反対の運動を起こします。

    彼女の情熱と行動力は多くの市民を動かし、見事に建設中止を勝ち取ったのです。

    一時は茅ヶ崎市長選への出馬が噂されるほど、地元では誰もが知るカリスマ的な存在でした。

    早すぎる別れと、最期まで紡いだ絆

    しかし、激動の人生を送ったえり子さんに、再び病魔が襲いかかります。

    2008年初頭、末期の膵臓がんが発覚。

    悲報に接した桑田さんは、国内外の名医を探し回って紹介するなど、全力で姉の闘病をサポートしました。

    かつて「姉の手下」だった少年は、今度は姉を守るために奔走したのです。

    えり子さんは過酷な闘病生活の中でも希望を捨てず、自身の著書である『エリー(C)―茅ヶ崎の海が好き。』を執筆し、

    これまでの人生と茅ヶ崎への愛を形としてまとめ上げました。

    そして2008年10月19日。えり子さんは大好きな茅ヶ崎の地で、56歳という若さで旅立ちました。

    おわりに:桑田家に眠る、もうひとつの物語

    えり子さんが生前語っていたエピソードの中に、少し不思議なものがあります。

    それは、ふたりの父親が「別の中国人女性との間にも子供がいる」と唆されたことがある、という話です。

    もしそれが単なる噂ではなく事実であれば、世界のどこかにもう一人、桑田佳祐さんの「腹違いの兄弟」が暮らしているのかもしれません。

    そんなミステリアスな家族の背景も含め、桑田佳祐という人間の人間味、そして彼が描く情景の深さは、

    こうした一筋縄ではいかない家族の歴史から生まれているのかもしれません。

    子守唄代わりにビートルズを歌ってくれた姉。

    海外から英語の歌詞を届けてくれたパートナー。

    そして、ふたりの故郷の海を守り抜いたヒロイン。

    岩本えり子さんという一人の女性がいたからこそ、私たちが今聴いているサザンの名曲たちが存在する──。

    茅ヶ崎の波の音を聴くたびに、この深い絆で結ばれた姉弟の物語が思い出されます。

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